『三國志』の「裴注」について
―私の基本的な態度―[古田史学]
なんの新しい知見も提供するものではありませんが、『三國志』の「裴注」については、私は次のような認識を基本にして臨んでいます。
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信憑性の薄い史料は採らず簡潔な叙述を宗とする陳寿は、行なわれていることは書き、行われていないことは書かなかった(また、陳寿は「簡潔さ」を損なう「親切な説明」は不要と考えていますので「わかる人にはわかること」も書きません)。それが故に、「(簡潔過ぎる)『三國志』を注釈せよ」と命じられた裴松之は、陳寿が「採らず・書かなかったこと」を補う注を入れた。こう考えるのが「裴注」に対する整合性のある理解である。
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一例を挙げれば裴注「魏略曰:其俗不知正歳四節,但計春耕秋收為年紀。」については、『魏略』は信憑性が薄いとして陳寿が採らなかった史料であり、「不知正歳四節但計春耕秋収為年紀」は、陳寿が書かなかった倭人の習俗(倭人が知らない・していないこと)を補ったものとして解釈します。つまり、「倭人はこんな(陳寿は書くべきだった)ことをしています」という注ではない、として解釈します。すなわち、陳寿は「(他国では~をやっているが)倭人は~をしていない」とは書かないので、「魏書烏丸鮮卑東夷傳」にある他の国でしている(書かれている)ことを倭人はしていなかったことを裴松之が補っているものと解釈します。つまり、「裴注」は陳寿の「書きもらしたこと(書かなければいけなかったこと)」を補ったものではないのですから、「不知正歳四節但計春耕秋収為年紀」の例でいえば「不知正歳四節但計春耕秋収為年紀」に関係する「他の国でしている(書かれている)こと」を見出してはじめてこれを正しく解釈することができる、と考えます。「魏略曰;不知正歳四節但計春耕秋収為年紀」は、ほんの一例にすぎません。
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