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なぜナチズムは「国家社会主義」ではなく「国民社会主義」と訳すべきなのか

なぜナチズムは「国家社会主義」ではなく「国民社会主義」と訳すべきなのかナチズム研究者として、長年悩んでいることがある。ナチズム(ドイツ語ではNationalsozialismus)の訳語として「国民社会主義」がなかなか社会に定着しない、ということだ。

「国民」か「国家」か

ナチズム研究者として、長年悩んでいることがある。

ナチズム(ドイツ語ではNationalsozialismus)の訳語として「国民社会主義」がなかなか社会に定着しない、ということだ。

手元には山川出版社、東京書籍、帝国書院、実教出版の高校世界史B教科書があるが、ナチ党の訳語はいずれも「国民社会主義ドイツ労働者党」となっている(山川出版社だけは「国民(国家)社会主義」表記)。

つまり、高校教育では「国民社会主義」がほぼ定着しているのだが、それ以外では「国家社会主義」という訳語を目にすることが依然として多い。

ウィキペディア、NHKのドキュメンタリー番組、各種辞典類などなど。ナチに関する邦訳書を見ても、「国民」と「国家」が半々といったところかもしれない。

个人社会国家_社会国家_社会主义国家

1934年、議会での演説後、喝采を浴びるヒトラー〔PHOTO〕Gettyimages

「国民」か「国家」か。

この言葉の元となっているドイツ語はNationである。

独和辞典としてもっとも定評のある小学館の『独和大辞典』(ちなみにこの辞典でもナチズムは「国家社会主義」と訳されている)を引くと、Nationの訳語として「国民、人民」と「国家」の両方が挙げられている。

ではどちらでも良いのではないか、そう思う人も多いかもしれない。

しかしそうではない。歴史研究者が「国家社会主義」を避けて「国民社会主義」という訳語にこだわる理由は、おおよそ三つある。

ナチズムは「国民」を優先する思想

第一に、「国家社会主義」という訳語は、「国家主導の社会主義体制」という、まったく別の内容を意味してしまうということだ。

「国家社会主義」という訳語に本来ふさわしいドイツ語は、Staatssozialismusである(Staat国家+Sozialismus社会主義)。これは、ソ連や東ドイツのように、国家権力によって生産手段を国有化する社会主義体制をさす。ナチズムに一定程度「社会主義」的な要素が含まれていたことは事実ではあるが、後で述べるように、ヒトラーやナチの言うところの「社会主義」はかなり特殊な意味合いを帯びていた。ナチズムを「国家社会主義」と訳してしまうと、ナチとは本質的に異なる政治体制を一緒くたにしてしまうことになる。

第二に、「国家社会主義」という訳語は、ナチズムの本質を見誤っているということだ。

これについては、ナチズム研究の第一人者である石田勇治が的確に指摘している。

「ナチズムは国家ではなく、国民・民族を優先する思想です。国家はヒトラーにとって、国民・民族に仕える道具でしかないのです。したがってナチズム、ナチ党の訳語は、国民社会主義、国民社会主義ドイツ労働者党とするのが、原意を正しく表していてよいと思います」(長谷部恭男・石田勇治『ナチスの「手口」と緊急事態条項』集英社新書、2017年、86ページ)。

社会主义国家_社会国家_个人社会国家

1938年、ドイツが植民地化したチェコスロヴァキアでパレードをするヒトラー〔PHOTO〕Gettyimages

外国語の概念にどのような訳語を当てるかということは、その概念をどのように理解すべきかという問題と切り離せない。

名は体を表す。

何かの外国語に訳語を当てるとき、「その意味内容を私たちはどのように理解しているのか」がつねに問われているのである。

その意味で、今回とくに強調したいのが第三の点、「国家社会主義」という訳語を当てることによって何が見えにくくなっているのか、ということだ。

メディア史研究者の佐藤卓己は、次のように指摘する。

「そこには全体主義論でソ連共産主義と一括りにしたいという反共的な思惑とともに、「国家」責任のみ追及して「国民」責任を問おうとしない心性が見えかくれしている」(佐藤卓己『ファシスト的公共性―総力戦体制のメディア学』岩波書店、2018年、62ページ)。

「国家社会主義」という訳語によって、人びと=国民のナチ体制への協力を見ないようにしようとしているのではないか、という指摘である。

なぜ「ふつうの人びと」が協力したか

1980年代までは、実は研究者たちにも似たような傾向が見られた。

この時期までナチズム研究は、「意図派」と「機能派」という二つの学説の争いによって進められていた。ナチ体制は、ヒトラーの思想や意図が上意下達されていく全体主義体制だったのか(意図派)、あるいは機能(幹部)エリート達がさまざまに体制に関与することで成り立っていた多頭制的な支配なのか(機能派)という、議論の枠組みである。しかし議論の対象は、基本的にはエリート達だけであった。

しかし1990年代以降、こうした研究の枠組みは大きく変わることとなる。ヒトラーやエリート達だけではなく、「ふつうの人びと」による同意、協力、支持、すくなくとも黙認があったからこそナチ体制は成り立っていたのではないかという「賛同に基づく独裁」論が、学界を席巻するようになったのである。

人びとは暴力によって強制されたりプロパガンダによって「洗脳」されたりしただけでなく、それぞれが「主体性」と「動機」をもってさまざまなかたちでナチ体制に協力していったことが、次々と明らかになっていった。

ユダヤ人が職(たとえば大学教授のポスト)を失うことでドイツ人が職を得ることもあったこと。東部へと移送されるユダヤ人の財産がドイツ人によって安く買いたたかれていたこと(いわゆる「アーリア化」)。ゲシュタポ(秘密国家警察)による住民の摘発が、多くの場合一般の人びとによる密告によって行われていたこと。前線や植民地において、多くのドイツ人が物質的利益を得ていたこと。東部においてユダヤ人が過酷な状況に直面していたことを、かなりのドイツ人が「公然たる秘密」として、ある程度知っていたにもかかわらず、彼らの運命にはおおむね無関心だったこと。

少なからぬ「ふつうの人びと」は、なぜこのようにナチ体制に協力、すくなくとも黙認していたのか。

それを考える上で欠かすことの出来ないのが、「民族共同体」という概念である。

「団結をもう一度」という掛け声

この言葉を理解するためには、歴史を第一次世界大戦まで遡る必要がある(以下、ウルリヒ・ヘルベルト、拙訳『第三帝国―ある独裁の歴史』(角川新書、2021年)の議論の骨子を引用する)。

第一次世界大戦が始まった当初、叫ばれたのが「城内平和」という言葉だった。それまでのドイツは政治的、社会的、宗派的に争いが絶えない状況だった。しかし今や戦争なのだから、ドイツ人同士で内輪もめしている場合ではない、挙国一致で敵に当たらなければならない。それが、この言葉に込められた意味だった。

だがドイツは第一次世界大戦に敗北した。ヴァイマル共和国になってもしばらくは内戦状況が続き、ドイツ人内部の対立はいよいよ抜き差しならないものとなった。その後数年間は比較的安定した政治が可能になったものの、世界恐慌以降は再び殺伐とした社会状況となっていった。

そうしたなかで、「民族共同体」という言葉をキーワードとして巧みにドイツ人の支持を獲得していったのが、ナチ党だった。第一次世界大戦が始まった時の「城内平和」のようなドイツ人が団結した状態に戻ろうというのが、ナチ党の振りまいた「夢」であった。「政治的、社会的、宗派的な対立のない、議会も政党もない、調和的な国民国家というビジョン」(同書247ページ)こそが「民族共同体」の骨子であった。

しかしそうした「団結」や「調和」には裏の側面があった。

それは、ユダヤ人、シンティ・ロマ(「ジプシー」)、政治的敵対者(共産主義者・社会主義者・自由主義者など)、障がい者など、「共同体の敵」とされた少数派を徹底的に排除するという側面だった。

社会主义国家_社会国家_个人社会国家

アウシュヴィッツ強制収容所(1945年)〔PHOTO〕Gettyimages

たしかに多くのドイツ人に対しては、家族支援、結婚ローン貸付金、有給休暇拡大、歓喜力行団による安価なパッケージ旅行など、さまざまな社会政策的な措置が講じられた。一家に一台車が手に入るという(結局果たされなかった)夢も振り撒かれた。

だが他方で、「共同体の敵」とされた人びとはそうした恩恵を受けられなかったばかりでなく、政治的敵対者は強制収容所に送られ、ユダヤ人は暴力を振るわれたり財産を安値で買いたたかれたりし、障がい者は断種手術を強制された。

こうしてナチ体制においては、「アーリア人で健康な、業績能力のあるドイツ人の「民族同胞」であれば、階級や教養、宗教、出身地域に関係なく「対等」な人間と見なされ、ナチ国家によって社会政策による支援を受けた。他方、民族的、社会的、生物学的、そしてとりわけ人種的に排除された人びとは「民族同胞」と対等の立場ではなく、法を奪われ、厚生・治安当局から排除され、追放され、もしくは生殖を阻まれた」(同書89ページ)のである。

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