国学とは、江戸時代中期に『万葉集』や『古事記』などの古典的書物を研究し、古代日本の思想を明らかにすることから、中国の影響を受けていない純粋な「日本らしさ」を追求した学問・思想のことです原武史『日本政治思想史』83頁など。
国学の成果は、神道の思想・制度に改変を迫り、明治政府の神道政策にも影響を及ぼしました。
そういった意味で、国学を理解することは日本の歴史のみならず政治・社会を考える上でも大事です。
そこでこの記事では、
について詳しく解説していきます。
関心のあるところから読んでみてください。
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1章:国学とは
まずは、国学に関するポイントを押さえていきましょう。国学の詳しい内容や神道への影響などについては、2章で解説していきます。
このサイトでは複数の文献を参照して、記事を執筆しています。参照・引用箇所は注ここに参照情報を入れますを入れていますので、クリックして参考にしてください。
1-1:国学の要点
もう一度確認しますが、国学とは江戸時代中期に行われた、『万葉集』『古事記』など日本の古典が研究された学問のことです。その研究活動を行う中で、儒教、仏教と言った外来の思想を中心に行われてきた旧来の学問を批判し、純粋な日本の思想を追求しました。
代表的な研究者は、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤らです。
彼らの思想は、「純粋な日本人らしさ」という復古的な色合いを持っていたことから、後に尊王攘夷運動に繋がり、また、復古神道という新たな神道体系を作り、吉田神道を中心とした既存の神社界の秩序を批判しました。
1-2:国学の歴史的意義
「国学の何が大事なことなの?」と疑問かもしれませんが、国学は以下の点で重要な出来事です。
日本人にとって、天皇制や神社の存在はあって当たり前のものですが、その思想も古来から一貫していたわけではありません。現代の形になるまでに様々な対立があり、その中で確立された結果、私たちが見ている形になったのです。
その歴史や、神道と国家の関わり、そして近代化とナショナリズムという政治的テーマとしても、国学は非常に学ぶことの多い出来事なのです。
2章以降では、国学を中心とした当時の思想を詳しく説明しますので、まずはいったんここまでをまとめます。
1章のまとめ
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2章:水戸学の研究
国学の研究の背景には、「日本の歴史を捉えなおそう」という江戸中期の学問の流れがありました。まずは、国学に影響した「水戸学」の思想から説明します。
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2-1:『大日本史』の編纂
日本の歴史を捉えなおす学問的事業として行われたのが、水戸藩第二代目藩主であった徳川光圀による『大日本史』編纂事業です。
徳川光圀
後に水戸学と言われるこの事業のきっかけとなったのは、「内憂外患」、つまり国内外の様々な出来事で国家が動揺していたたことがありました。特に対外的な脅威に対抗して、国家としてのまとまりを作り出そうという機運がこの頃うまれていた、と考えられます。
また、武家による統治の思想的な根拠を明確にし、その思想を一般にも広めようとする目的もありました。
水戸学のはじまりに見られるように、国学は近代化に伴うナショナリズムの称揚という側面が見られる思想であり、その意味で単なる日本史の一出来事ではなく、政治的な大きな出来事と言えるのです。
いずれにしろ、こうした動機から、光圀はすぐれた学者を集め、資料を集めるために全国に人を派遣しました。
これ全国行脚が「水戸黄門」の話のもとになりました。
そして、
といった流れで『大日本史』が完成されました。こうして天皇を中心とした日本の歴史が明らかにされたのです。水戸学の研究は、「万世一系の天皇を戴く忠の道徳を、臣民たる日本人が神代依頼子々孫々と承け継ぎ守ってきたこと(忠孝一致)に基づく国家体制を国体と規定」することで、それが無比なるものとして称揚し、人身を掌握することを目指す思想であったとされます佐藤弘夫ら編『概説日本思想史』201-202頁
2-2:契沖の『万葉集』研究
徳川光圀は、真言宗の僧である契沖(けいちゅう/1640-1701年)に『万葉集』の研究も求めました。
契沖
一般的に、契沖の『万葉集』研究が国学の始まりだと言われます伊藤聡『神道とは何か』273頁。
言うまでにもありませんが、『万葉集』は日本最古の和歌集であり、7世紀前半から759年までの和歌が収録されており、8世紀後半ごろに成立したと言われています。
近年は、「令和」の年号が『万葉集』を典拠とされたことから注目を浴びました。
『万葉集』は日本の古典中の古典と言えるため、『万葉集』を研究することから、当時の日本人がどのような思想や感性を持っていたのか明らかにすることが、とても大事なことだと考えられたのです。
契沖の成果は、『万葉集』の研究を通じて、実証的な学問的手法を確立したことです。契沖は、『万葉集』に収録された和歌にどのような意味をこめられているのか研究するため、
などを深く研究し、実証的な研究方法を整えたのです。
こうした研究方法が、後の国学の研究に役立たされていきました。
2章のまとめ
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3章:賀茂真淵・本居宣長による国学研究
さて、契沖から生まれた国学研究は、その後、賀茂真淵や本居宣長によって発展・確立していきました。そして、本居宣長以降には神道の見直し、復古神道の誕生、その後のイデオロギーへの影響など重要な政治的出来事に繋がっていきます。
3-1:賀茂真淵の研究
賀茂真淵(かものまぶち/1697年-1769年)も、『万葉集』や『源氏物語』などの日本の古典の研究をしました。
賀茂真淵
賀茂真淵も、日本の思想は仏教や儒教によって曇らされている。日本の古典を研究することで、日本人本来の純粋な精神を明らかにできると考えた一人です。つまり、外来思想に影響を受けない日本独自の思想を探求したのです。
賀茂真淵は自らも万葉風の和歌を作り、研究するだけでなく古来の日本人の思想を自らのものにしようと努めました(万葉主義)。
また、賀茂真淵は、「古道説」を提唱したことも特徴的です。「古道」とは多くの国学者が支持した復古神道という思想です。
賀茂真淵や後に紹介する本居宣長によって提唱され、やがて儒教や仏教という外来思想を排斥し、また吉田神道を中心とした旧来の神道の体制を批判し、新たな神道の潮流を生み出していきました。
詳しくは4章で説明します。
3-2:本居宣長の研究
本居宣長(もとおりのりなが/1730-1801年)は、最も代表的な国学者だと言えるでしょう。
本居宣長
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本居宣長の研究の主なものは、『源氏物語』と『古事記』の研究です。本居宣長は賀茂真淵が成せなかった『古事記』の研究を行い、『古事記伝』という形でまとめ上げました。
『源氏物語』や『古事記』の研究を通しての宣長の主張は、
というものです原武史『日本政治思想史』84-85頁など参考。
「もののあわれ」とは、『源氏物語』などの古典文学を評価する義的概念で、本居宣長によって概念化されたものです。
こうした研究から、宣長は儒教に毒されていない日本人の本来の「古道」を明らかにするべきと考えたのです。
宣長の研究で重要なのが、それが『日本書紀』に由来してきた日本の神々の体系と、『古事記伝』にあらわされたその体系との矛盾を指摘したことです。
3-2-1:『古事記』と『日本書紀』の神の体系の矛盾
「そもそも、神の体系ってどういうこと?」と素朴な疑問があるかもしれません。まず、古来から伝わる神話や伝説というものは、ある程度は恣意的に作られたものであるのが一般的です。
つまり、一般的に、その時代の支配者が自己の支配を正当化するために、さまざまな歴史的出来事や原始的な信仰を組み込んで、一つの物語に仕立て上げたものである、という側面があるのです。
『古事記』と『日本書紀』はそれぞれ以下のように異なるものですが、特に『日本書紀』は、天皇中心の支配を正当化する側面があったと考えられました。
→詳しくはこちらの記事でも解説しています。
本居宣長は、『日本書紀』の記載は、日本古来の神々の体系が天皇中心のものに整理されたものである。それは、古来にあった純粋な神の体系とは異なるものだとして、『古事記』にある神の序列を重視したのです原、前掲書86-87頁。
そして、『古事記』を一種の作られたストーリーとしてではなく、「書かれていることはすべて事実である」と解釈し、『古事記』中心の神々の体系を確立しようとしました。
3-2-2:『古事記』と『日本書紀』の初発神の違い
宣長の研究における、一つのポイントが初発神に関するものです。「初発神」とは、日本の神話で最初に現れる神のことです。
この初発神についての記載がそもそも以下のように異なります。
「それに何の問題があるの?」と思われるかもしれませんが、実はこれが神道の支配構造に影響していたのです佐藤、前掲書183-185頁。
3-2-3:既存神道の『日本書紀』と結びついた思想
そもそも、日本の神道とは日本古来の神々に由来する民俗信仰です。
そしてあまり知られていませんが、神道の中にもさまざまな流れがあり、江戸時代に隆盛を誇ったのが吉田神道という流れです。
吉田神道とは、室町時代の吉田兼倶(1435~1511年)が大成した神道の宗派の一つです。仏教、道教、儒教などの外来思想も取り入れた融合的な宗派で、江戸時代は全国の神社の家元のような立場を取っていました。復古神道の隆盛以降は衰退していきます。
吉田神道の思想は、前述のクニトコタチを中心とした思想に儒教や仏教の思想を取り入れたものでした。
他にも、
などの神道の宗派がありましたが、これらもクニトコタチを初発神とする思想です。つまり、クニトコタチを中心とした思想が、当時の支配的な神道の思想だったわけです。
度会神道(わたらい神道)とは、伊勢神宮を源とする伊勢神道の外宮から生まれた神道の宗派です。
こういった旧来の神道が持つ『日本書紀』中心の思想(クニトコタチを初発神とする思想)を本居宣長は厳しく批判したのです佐藤、前掲書184-185頁。
そして、本居宣長の影響を受けたその後の国学者たちによって、さらに既存神道は批判され復古神道が支持されるようになります。
3章のまとめ
4章:国学による復古神道の成立と明治体制への影響
宣長以降の国学者は、
などを行いましたが、結局明治政府によって排除される道を歩みました。
4-1:吉田神道中心体制の否定
まず、国学者たちが批判した吉田神道は、明治政府によって特権的地位を排除されることになりました。
そもそも吉田神道は、
といった特権的な立ち位置を持っていました。幕府の後押しから吉田神道が神社界を支配していたわけです。
これを批判したのが、賀茂真淵や本居宣長ら国学者だったのですが、国学者たちはこの吉田神道の特権を名指しで厳しく批判し、神職の中にも国学者の主張を支持する者が多く存在したようです佐藤、前掲書187頁。
そうした背景もあり、明治維新後には明治政府によって特権的地位を奪われました。
それだけではありません。明治政府は神道の秩序を一新し、それをイデオロギーとして活用しようとしていきます。
まずは、その前に平田篤胤による国学の研究から説明します。
4-2:平田篤胤による国学の継承
平田篤胤(ひらたあつたね/1776年-1843年)は、本居宣長の国学を継承しつつも独自の主張をしました。
平田篤胤
篤胤の研究は、アメノミナカヌシを初発神と考えている点では、宣長の国学の継承です。
しかし、篤胤は、『古事記』『日本書紀』『風土記』などからつなぎ合わせて作った「古史」である『古史成文』を作成し、そこで以下のように主張します。
これは宣長の研究を超える独自のものです。
この平田篤胤の国学の要点は、
という点です。
こうして篤胤は、復古神道という新たな神道の思想体系を確立したのです。
こうした篤胤の思想は、篤胤の門下の学者たちによって、国家の教学に取り入れようとされていきました。
4-3:復古神道の国教化政策
明治維新以降に、こうした流れから行われたのが「復古神道」を国教にしようという取り組みです。復古神道とは、旧来の吉田神道中心の神道を批判し、国学的な思想に基づいた思想から提唱された神道のことです。
結論を言えば、復古神道の国教化政策は失敗し、平田門下は没落していくことになりました。
4-3-1:明治政府の神道国教化政策
明治政府は、近代国家として一体化した国家を建設するため、イデオロギー面の支配思想を必要としていました。そこで、古代の律令制を見本に「神祇事務局」「神祇官」を設置し、神道の国教化を進めようとします。
そこで、平田篤胤門下の福場美静(1831年~1907年)は、復古神道を、アマテラス(天照大御神)を中心とする体系に修正し、それを用いて国教化を進めようとしました。
明治政府はこれを部分的に取り入れ、
という方針を打ち出します。福場らの復古神道の国教化は明治政府から排除されていきます。
4-3-2:出雲派と伊勢派の対立
こうして明治政府は伊勢神宮を中心とした方針を支持したのですが、一方で出雲大社では本居宣長の復古神道思想に関心を持っていました。
第80代出雲国造(※)だった千家尊福(せんげたかとみ/1845年~1918年)は、出雲大社のトップとして明治の時代には「生き神」として全国行脚します。
千家尊福
しかし、千家ら出雲派の思想は、明治政府が支持した伊勢派の思想と以下のように対立しました。
出雲派はこの対立に事実上敗北し、賀茂真淵や本居宣長、平田篤胤らの国学、復古神道から繋がる思想は排除されていきます。
そして、出雲派の教義は民間の神道(教派神道)の一つとしてのみ認められ、伊勢神宮を中心とした神の体系がその後の天皇制を支えるイデオロギーとなっていったのです。
4章のまとめ
5章:国学の学び方・オススメ本
国学について理解を深めることはできましたか?
国学の研究は多く存在し、さまざまな説があります。そのため、より理解を深めたい場合は必ず書籍にあたるようにしてください。
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